東南アジア最後の秘境と呼ばれるラオス。そのラオス北部の都市、ウドムサイから綴る日本人のブログ。 PMCという特産品(クズやシナというラオスでも稀少な産品を素材に使った製品など)を扱うショップで、ボランティアとして日々何かしらに奮闘しています。
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今回の投稿は、ちょっと個人的な経験とリンクするものがあって書いています。なので、私見が強くなってしまっていることを予め断っておきます。
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とある協力隊活動が載っている少し前の雑誌を読んでいて、その中で、ちょっと気になる事例があったので、紹介します。
そこに書いてあった記事を要約すると、
「カウンター・パート(以下、CP)もマーケティング、マーケティングと言うけれど、マーケティングの意味を勘違いしているので、私はプロジェクトを進めるのが大変。」みたいなものが書かれていました。
他者を批判するのはよくないと思いつつも、私はこれを読んだ時に、この人の方がマーケティング理解について問題のある人だな、と感じました。
実は、マーケティングという言葉はよく耳にするものですが、定義が曖昧だったりするのです。
業界によっても違いますし、同じ業界でも企業によって使う意味が異なったりします。
たとえば、
新製品の開発などをする時に、マーケット(商品市場)の調査・分析をすることを「マーケティング」と言います。
また、販路拡大の戦略を実行する時にも「マーケティング」と言います。
こういう定義があいまいな言葉はけっこうあり、
複数の企業でミーティングをするときには、最初にその言葉の定義を確認してから、話し合いを行ったりすることもあります。
これを書いた人は、それまで自分が少しだけ身を置いた製品開発の世界で使われていたマーケティングと言う言葉が、唯一無二の意味を持つものだと考え、販路拡大の意味で使いたかったCPのことを理解できなかったのです。
今回のケースは、CPの問題ととらえていますが、当人がマーケティングの意味の広さを知らずに、定義の共有ができていなかったことこそが原因だと思われます。
マーケティングに様々な意味があることを知らずに、自分が絶対的に正しいと思ってしまった。その当人の知識の狭さ、浅さが今回の問題のひとつにあるのではないでしょうか。
さらに、もっと問題視すべきは、意味を共有できなかったときに自分の考えを押し付け、CPに歩み寄ろうとしなかったことだと思います。
たとえ、マーケティングに様々な意味があることを知らなくても、相手に歩み寄ろうという姿勢があれば、双方の定義の違いに気づけたはずです。
今回のケース、推し進めようとしていた方向性が違ったので、相手の無知を口実に、自分のやりたいことを自分の定義で推し進めたという印象でした。
言葉だけに頼らず、お互いの真意を理解できるような形で活動は進めないとですね。
これは、途上国で働く私には同じような状況を多く迎える気がします。
そこで、意味が曖昧な言葉の問題を解決していくためには、以下のプロセスが必要であると考えます。
① 相手との違和感に気づく
② 自分がどういった意味でその言葉を使っているのかを明確にする(言いかえる)
③ 相手がどういった意味でその言葉を使っているのかを明確にする(言いかえる)
④ 共有する
まぁ幸か不幸か、頼る言葉に自信はないので、お互いに簡単な言葉に言いかえはできていますが(笑)
マーケティング以外にも、同じようなケースは多々あるかと思います。
偉そうに語ってしまいましたが、自分にこれができているかどうかはよく分かりません。
相手とそれを通じた第三者の目からでないと判断は難しいですので。ただ、できていたいですね。
相手と自分と、すべてを共有することは難しいですが、少なくても相手との違和感に気づき、相手に歩み寄れるような活動姿勢をとっていきたいです。
よく開発途上国で聞く言葉に、「援助慣れ」という言葉があります。
これまで気づかなかった、いや気づこうとしていなかったのですが、自分の身の回りにも確かに存在しているようです。
援助慣れを自分なりにまとめてみると、
① 支援を受けていることをそれがさも当然のようになってしまい、受け身の姿勢になってしまう。
② どうせ誰かがやってくれるから、その誰かに任せてしまう。
③ いつかは自立しなければと思いつつも、それが到来するのはまだ当分先なのが分かっているので、自立に向けてなかなか動き出せない。
そんな問題。
危機感の欠如、問題解決に対する当事者意識の欠如に起因していると、私は分析しています。
ただ思うのは、
被援助者も、よく批判されるように必ずしも自立しようという意識がないわけではない、ということです。
本当はこのまま援助を受け続けるのは申し訳ないと思っていたりもするのです。
来月からは一人でよろしく、などと言われたら、危機感を抱き、取り組む気がします。
また、その意味では、援助する側も、被援助者を千尋の谷に突き落とすくらいの「覚悟」が必要なのかもしれません。じれったく、かわいそうという思いもあるかもしれませんが、そういう気持ちを押さえ、見守る「覚悟」が時には求められるのではないでしょうか。
と、日々ラオス人に日常生活の援助を受け続けて、援助慣れを起こしつつある私は思っているわけです。
本当に、申し訳ないし、自立しなきゃってね。
以下、ご馳走になっている時の食卓。
そろそろ恩を返さなければ…。
途上国でプロジェクトを進めるにあたってよく耳にするのが、
現地の人は長期的な視野で投資メリットを理解するのが難しい、という問題です。
極端な例ですが、例えば、
商品A: 購入価格 300円 耐用1カ月
商品B: 購入価格3,000円 耐用30か月
現在価値の割引やランニングコストなどは無視して単純に考えての価格ですが、
この時、1カ月当たりの費用を比べてみると、
商品A: 300円/カ月
商品B: 100円/カ月
になります。
これだけ見ればより好まれそうな商品Bが、なぜか選択されないケースが多いというのです。
これについて、現地の人は長期的な視野に立って投資を考える能力・習慣がない、と切り捨ててしまう考えを、間々目にします。
私も、協力隊に参加する以前には、そういう状況を想定していました。
しかし、実際に途上国で生活していると、これは途上国の人々が現在価値での比較ができない、長期的な視野がない、という問題だけではないと感じています。
私の任地のウドムサイは、安価な中国製品が多く市場を占めています。
そのような製品は、基本的に長持ちしません。
1度使っただけで壊れてしまったものもありました、まさに今日。
(それでブログを書いているわけですが。)
しかし、安いので、お客さんもそれを承知して買っています。
安かろう悪かろう(品質が悪くても、安いんだからしょうがない)という意識が共通しているのです。
そのような、壊れやすいものが溢れている社会では、長期的な視点に立たなければならないモノはリスクが高いと認知されてしまうのです。
つまりは、
「高くても、どうせすぐに壊れるんでしょう。」
「なら、安いものの方がいいわ。」
という思考に陥るわけです。
そして、安いものの方が好まれる社会になり、安くて質の低いものがより出回る社会になっていくのです。レモンの定理の問題と同じような考えですね。
こういう状況が想定される社会では、長期的な視野で行動することは逆にリスキーとなるのです。ですので、お得な可能性を持っている商品も、それ以上に短期で壊れるリスクも持っていると認識されてしまうので避けられてしまうのです。その思考が、高い商品にも当てはめられるので、選ばれないという結果になるのだと思います。
少なくとも私は、そういう思考になってしまいます。
特定のブランド力による品質保証がない限りは、高いものは買うのを躊躇ってしまいます。
また、金融システムが十分ではないので、そういう本当に高くて良いものの調達が難しいという問題もあるかもしれません。
普段その物事にずっと接していると、なかなかその変化に気づきにくいことがあります。
そのため、何かのタイミングで過去と比較してみると、意外にも変化がすでに起きていることに気づかされるのです。
そういった意味で、定期的に現在の状況と過去を振り返ってみるというのはいいことかもしれません。
今日、私にもその変化に気づくタイミングが訪れました。
ウドムサイに来て約8カ月。
日々、緩やかな変化でなかなか気づきませんでしたが、
この8カ月で、体重が6kgも増量していました!!
現地で協力隊員は、
男性は痩せ、女性は太るとはよく言いますが、ぐもも・・・。
一方、活動内容も、着実に大きくなっていることを祈ります。
今度の木曜日放送予定のテレビ番組で、
ラオス北部の街にスポットが当てられています。
2014年6月19日(木)21時放送予定
BS-TBS『地球バス紀行』
(番組HP⇒http://www.bs-tbs.co.jp/bus/)
メインは違うので、放送の枠は短いかもしれませんが、私の任地も映るかもしれません。