東南アジア最後の秘境と呼ばれるラオス。そのラオス北部の都市、ウドムサイから綴る日本人のブログ。 PMCという特産品(クズやシナというラオスでも稀少な産品を素材に使った製品など)を扱うショップで、ボランティアとして日々何かしらに奮闘しています。
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このブログではいろいろ語ってきたマーケティングの拙い私の知識。
自分でも勘違いしないようにしないといけないと思っているのが、
そのマーケティングの知識も、実際はそのままでは役に立たないことが多いということです。
実際の現場というものは、どこも全く同じ状況のものはありません。
一見似たような問題を抱えている現場同士でも、
自分たちの持っているもの、置かれている状況、周囲の環境は、それぞれ異なっています。
そのため、それぞれの現場に対して、個別具体的に知識を活用し、柔軟に対応していかないといけません。
現場の成果に対してのみ言及すれば、知識を持っているだけでは役に立ちません。
むしろそれよりも、プロセスはどうであれ、現場に対しての解決策を提示できることの方が意味を持つと思っています。
正直、私も成果さえ出るなら、その手段は教科書の方法から逸脱していても構わないとさえ思っています。
それが新しい可能性を秘めたアプローチとなることもあると思いますし。
かと言って、知識が全く不必要かと言われれば、そうではないと断言できます。
まず、成果を出すことに当たっては、
個人で動くならそういう感性で動くこともいいかもしれません。
しかし、組織を動かす際には、
「知識」を持っていることで役に立つケースが多いです。
それは、何か新しいことを導入しようと、周りにプレゼンするときです。
その際に、何の根拠もなく新しい策を提案するよりも、
その案の導入根拠を「知識」で裏付けしてあげると、説得力が違います。
その人自身にすでに信頼、説得力があるならば必要ないかもしれませんが、
知識も、私たちの発言に説得力を増させてくれるツールになりえます・
また、マーケティングの知識は、
問題解決のアプローチに全く見当もつかない際に、思考のヒントを与えてくれることも多いです。
さらには、それまでの知識や経験の組み合わせにより、その後(未来)の予測がつけやすくなるということもあります。
確かに、知識はそれだけでは机上の空論になりうるという批判もあるかもしれません。
しかし、私は上に挙げたようないくつかの理由により、
現場においても、知識はあるに越したことはないものだと信じています。
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