東南アジア最後の秘境と呼ばれるラオス。そのラオス北部の都市、ウドムサイから綴る日本人のブログ。 PMCという特産品(クズやシナというラオスでも稀少な産品を素材に使った製品など)を扱うショップで、ボランティアとして日々何かしらに奮闘しています。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
この2年間の活動前後で、変わった考えのひとつが語学の大切さです。
協力隊派遣前は、多少の語学能力のなさも他の要素でカバーしうると思っていました。
しかし、実際に活動を行っていると、
やっぱり語学の重要性というものを痛感します。
具体的に、語学ができない時の問題として以下の3点があります。
1. 伝えたいことが伝えられない
2. 意図しないものを伝えてしまう
3. 語学能力の制約のために、やりたいことができない可能性がある
1.伝えたいことが伝えられない
これは当然ですが、自分が相手に伝えたいことも、それを言葉として表現できなければ相手に伝えられません。絵を描いたり、例を示したりして説明できることもありますが、言葉で伝えて済むものは言葉で伝えた方がスマートです。
特に、専門的な話をしたい時には、いちいちすべてをそんなことに時間を割いていたら、話が進みません。日常生活レベルでしたらそこまでの語学レベルは必要ないかもしれませんが、仕事の中でその言語を使うのならば語彙は大切です。
そして、なかなか自分の言いたいことが言葉で言えないと、自分自身にもどかしさを感じます。
また、誤解を生むというリスクもあるかもしれません。
2.意図しないものを伝えてしまう
これも語彙の不足に起因すると思いますが、正しい単語を選択できないと、発言のニュアンスが変わってきてしまいます。
分かりやすいところで言えば、敬語表現。
ラオス語にも目上の方に使う言葉やスピーチの時に用いられる表現というものがあります。
この使用方法を誤ると敬意を払っていないかのような印象になってしまうかもしれません。
例えば日本語で言えば、「了解」という言葉。
目上の方に使う場合は、「かしこまりました」「承知いたしました」と使うのが普通だと思います。
これに対して、「了承」「了解」という言葉を使うと、上から目線になってしまいます。
ただ単に、言葉を知らない奴なんだなと思われるだけかもしれませんが、
中には、敬意を払えない奴、立場をわきまえない非常識な奴ととらえられてしまうかもしれません。
敬意を払っていないという、本人の意図していない意図まで伝えてしまうかもしれない。
そして、言葉の理解が乏しいと、相手に不快感を与えてしまうかもしれません。
英語でも何か相手に依頼をする時に、
Pleaseをつけないで命令口調で言ってくる人と、I’d like you to ~の表現ができる人とでは、依頼される側の印象が変わってくると思います。
ちょっとした言い回しでも変わるのならば、正しい語学の知識を持つようにしなければなりません。
3.語学能力の制約のために、やりたいことができない可能性がある
語学能力の自身の制約のせいで、自分のやりたいことまでもが制約されてしまうのはもったいないと感じています。
私自身も、この2年間の活動ではもっとプレゼン、セミナーの機会を設けたかったという思いがあります。
スタッフにはいろいろレポートや資料を用意したり、直接行動で示したりして、運営管理の伝えたかったことは伝えてきたつもりです。
ただ、そのペースが遅かったり、回数が少なかったりというのは、自分の語学力のなさが要因の一つにあります。また、もっとセミナーやワークショップをしたかったという反省があります。
語学力がないだけでやりたいことができなくなるのは、双方にとって非常に惜しいことなので、語学力というそんな前提の話はクリアするに越したことはありません。
以上のような自分の反省、見てきたものもあり、
世界中どこで働くとしても(日本であっても)、その国の「語学」は必要だと思っています。
私も今後のことを考えれば、英語をせめて必要最低限レベルまで引き上げなければなりません。
COMMENT