東南アジア最後の秘境と呼ばれるラオス。そのラオス北部の都市、ウドムサイから綴る日本人のブログ。 PMCという特産品(クズやシナというラオスでも稀少な産品を素材に使った製品など)を扱うショップで、ボランティアとして日々何かしらに奮闘しています。
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活動も終わりに近づき、他の隊員や活動に興味を持っていただいた方に、
「活動を円滑に進めるために、カウンターパート(以下、CP)とどうやって関係を作ったか」をよく聞かれます。
私は、活動は割と自分の計画通りに順調に進めてきた方だという自負があります。
しかし、CPについては、あまり多くを語ることができません。
なぜなら、私は、
未だにCPが誰だったのかを把握できていません・・・。
基本的に活動を一緒になって進めてもらうパートナーになると言われるCPですが、
赴任当初に質問し忘れてしまったので、今さら感が強すぎて、その後聞けずに最後まで来てしまいました。。。
テヘヘ。
そして、きっとCPを尋ねる必要性があまりなかったからというのもその一因だと勝手に理解しています。
というのも、
私は配属先の特定スタッフを対象として、最初から活動計画を立てていませんでした。
せっかくなので前職の経験を活かし、組織の改善を行うために、PMCという事業組織に対してどう取り組むのかを考えていました。
そのため、自然と配属先で話をする機会が大きくなって行ったのは、実質的にPMCを指揮しているマネージャーでした。
そして、あとはセクションごとのスタッフに活動を落としていきました。
2年間の活動計画は赴任4カ月ほどで策定していたので、自然にキーマンと対象が決定していきました。
組織の実質的な責任者、一緒に人を動かしてもらいたい人、一緒に動いてもらいたい人、動いてもらわないとならない人などが、その時々によって自然と決定していきます(組織の責任者には、共通してすべてを報告していました)。
確かに、CPが配属先から指定されて決まっていれば、
「この人がCPだから、この人に頼って行動しよう」となり、活動の方向性は分かりやすくなるかもしれません。
CPだからという理由で、頼ることもしやすいと想像できます。
しかし、私は対象スタッフの人数が少ないこともあり、特にそういう人を必要としませんでした。
というよりも、CPかどうかは確かではありませんが、マネージャーを実質的なCPのようにとらえて活動を進めてきました。
まぁどちらにせよ活動が円滑に進めさえいればいいので、
どちらの方式が正しいというのはないかと思います。
あくまでも、私は、
CPが誰かを聞くのをうっかり忘れてしまったことに加え、
前職の経験からもそういう方式がやりやすかったという話です。
思うのは、CPなんて誰でもいいので、
いかに組織を動かしやすいように、最も適した形で組織にアプローチを図っていくかが重要なのだと思います。
活動の任期は10月1日(木)までですが、
首都ビエンチャンで、最終報告会や表敬訪問を行うため、
今日任地ウドムサイに別れを告げてきました。
今月に入ってからは、
連日の送別会or生産者訪問で忙しい日々が続いてきました。
そのため、あまり物思いにふけって感傷に浸る時間もなく、今日が来てしまいました。
ただ、飛行機に乗り込み、
飛行機の窓からウドムサイの街並みが小さくなっていくのを見ると、なんだか急に切なくなりました。
自分次第でまた来られるのも分かっていますが、
当たり前になりつつあった日常が急になくなってしまった感じがするのとともに、
感謝、満足、反省、楽しかった思い出が混ざり合った複雑な感情です。
ウドムサイとPMCは、
私にたくさんの思い出と、さまざまな経験を与えてくれた場所でした。
ここで過ごした2年間を無駄にしないように、
今後の人生設計もしっかりしたいと思います。
ウドムサイのみんな、本当にありがとうっ!!!
2年間の協力隊の任期もあとわずか。
任地は明日離れ、首都ビエンチャンに1週間ほど滞在することになります。
明日の午前に、正式に配属先の局長に挨拶をし、配属先を後にします。
立つ鳥跡を濁さず、というわけで、
今日は自分のデスク周りの片づけを行いました。
テーマは、「来た時よりも美しく」。
しかし、来た時の様子がこれ。
ごみが詰められていた思い出が今では懐かしいです。
(嫌がらせではないことを信じています。)
テーマは容易に10分ほどで達成されました。
しかし、掃除をして物が何もなくなってくると、
いよいよ帰国だな、という感が強くなってきますね。
しみじみ。
>私の後任JOCVの方へ
この机を使うことになって、ごみが詰められていても、
私の残していったごみではありませんので!!!
・・・という言い訳。
でも、そんな事態になっていたら、
5Sの大切さも伝えてきたつもりの自分としてはショックです(笑)
帰国=この2年間、親しくさせてもらってきたお母さんたちともお別れ。
そこで、先週からあいさつ回りを実施中です。
この1週間のバイクでの走行距離は約480km。
山道なので、もうお尻が痛くなっています。
でも、この2年間本当に忘れがたい思い出をもらったので、
どうしてもあいさつに行っておきたく、
あまり好きではないバイクに跨って行ってきました。
そこで、特に関係が深かった2つの村での思い出を、
自慢がてら、紹介したいと思います。
村に行くまでの道の関係で、雨季の間は行きにくくなってしまう村。
久しぶりの訪問となりました。
あいさつを言いに行っただけなのですが、
ありがたいことに、お母さんたちがラオスの伝統的な儀式「マッド・ケーン」をやってくれると言ってくれました。
このマッド・ケーンというのは、
一般には「バーシー」と呼ばれているもので、
人生の節目の際や、何かしらの際に、手首に糸を巻く儀式です。
通常、ただの糸を巻くだけなのですが
今回は、お母さんたち自ら手首に巻く糸を編みこんでくれました。
そして、
このせいで泊まりになってしまったけど、それもいい思い出です。
また、赤いシャツを着ているセーンは本当にお母さんみたいな存在で、この時はこんなに楽しそうにしてくれているのに、私とのお別れに泣いてくれました。
そんなことされたら、私ももらい泣きしてしまうよ・・・。
最後には、そんな気は全くないのに、またお土産をもらい過ぎてしまいました。
お母さんたちの気持ちがうれしいです。
街から18kmと比較的近い距離にあり、展示会などを手伝ってもらうことも多い村です。
そして、染色を教えてくれたお母さんがいる村でもあります。
この村でも、バーシーを企画してやってくれました。
バーシーに使う、写真中央のパー・クワンと呼ばれる飾り(捧げもの)。
これを自分たちの手で作ってくれました。
私が手伝えるのは、バナナの葉を拭いてきれいにすることくらい。
みんなありがとう!!
そして、この村でも、「日本で使ってね!!」とお土産をまたもらってしまいました。
何か気の利いたお礼ができたら良かったのですが、
私にできるのは、収穫したトウモロコシの皮剥きのお手伝いくらい。
最後にお母さんと一緒にトウモロコシの皮をずっと剥いてきました。
ただ形式的にバーシーをやるのではなく、
想いを込めて準備から手づくりでやってくれたお母さんたち。
お別れとかでも割とドライにするタイプの私なのに、なんだかしみじみとしてしまいます。
本当に別れが寂しいですし、本当にまた遊びに来たいと思います。
以前のブログ記事で3日間は糸を結んだままにしておくと書いておきながら、
本当は即日で切ってしまうことも多いバーシーの糸。
でも、この2つの村でのバーシーで巻いてもらった糸は切れないよー!!
仕事も荷造りも一通り方をつけ、任地を離れる日まで残り1週間となった現在は、
生産者グループのお母さんたちへのあいさつ回りを中心に動いています。
今日はラー郡へ訪問。
(中心部は、配属先からバイクで40~50分ほどの距離)
今まで全然知らなかったのですが、
訪問先の村の近くに滝があるということで、時間もあることですし、
生産者のお母さんへの訪問がてら、向かってみることにしました。
この滝を目指します!!
(写真はツーリスト・インフォメーションセンターにて撮影)
土の道を進んでいきます。
田園風景が広がります。
村から本当に近かった。
・・・結果、滝は見つかりませんでした。
一本道ですし、見かけた看板から4km以上は確実に走ったのですが。。。
現地の人ともすれ違うことがなかったので、尋ねることもできず。。。
私はこういう時、深追いはしない方なので、
来た道を戻り、さっくりと帰ってきました。
滝を見られなかったのは残念ですが、
ウドムサイの景色、好きです。
お母さんにもちゃんと挨拶できたし、良しとします!!